この度、12月8日より個展 “1999” を開催させて頂きます。
私が描くラインはグラフィティから着想を得て、誰もが認識できる自分の”形”を探し出した事が発端でした。
私は京都出身でスケートボードが切っ掛けとなり、同じストリートカルチャーを背景にもつグラフィティアートにも興味を持ちました。中でも特に、極限まで張りつめた”曲線”の美しさ、そして極太で表現される”線”に感銘を受けたのが93年頃の事でした。
インターネットなども普及していない当時、私の周りでグラフィティに関した情報は少なく、海外のスケートマガジンに時折載っている写真、ラップアルバムのカバーアート、スケートビデオに出てくるストリートの様子、その背景に描かれているグラフィティ、その全てが貴重な情報であり、学校で学ぶ美術には満足できなかった私を強烈に虜にするもの、それこそが私が感じていたヒップホップでした。
当時京都にグラフィティはほぼ存在しておらず、その街並みにはアルファベットで描いたタグはとても浮いた存在に見え、不自然な景色を作り出していた事が強く印象に残っていました。それでもストリートカルチャーへの興味は強く、より大きなシーンが存在する東京では何が起きているのかと96年に上京しました。
スケートボードに乗り身体で体感する気持ちよさ、隔たりのない自由な雰囲気からも大きく影響を受けながらも、
描く事が好きだった私はグラフィックデザインやアニメーション、そしてポップアートや抽象絵画等、様々な影響を受けていました。
そして特に影響の強かったヒップホップカルチャーの先端を肌身で感じたいと、99年にNYへと渡りました。
そこでの滞在は音楽や映像等から感じた憧れの世界だけではなく、様々な人が交錯し自らを主張せんと放つエネルギーに圧倒され、生活習慣の違いや、言語の問題からも改めて自分がアジアの地から来た日本人なのだ、と気付く切っ掛けにもなったのです。
表面的な憧れでは無く、私自身がどこから来たのか、生い立ちから沸き立つ何かを見出さなければそこでは掻き消されてしまうのだと思うに至り、英語でも日本語でもなく、そしてもはや言葉でもなく、全ての人が認識できる自分の”形”を生み出す事はできないかと考えたのです。
街中にあるグラフィティの形やフロウで抽象的に解釈する事が当たり前であったので、文字である事は私にとっては特に重要ではありませんでした。また2000年を間近に迎え、これからの時代は文字ではなく、記号的で地球外からも認識できるモノリスの様な雰囲気の方が絶対相応しいし、ヤバいのではとイメージしたのも、文字を使わなかった理由の一つでした。そして郵便局で入手できる送り状のステッカーに形を描いてを繰り返し、沢山の描いたステッカーをパズルの様に並べると、重なりの中に半分だけの形状が垣間見えたり、二枚が重なって一つの様に見えたり、それがヒントになりこのラインがの原型が誕生するに至ったのです。
ラインの意味や名称は特に必要だとは思ってなかったのですが、周辺からドカンやツボと呼ばれるようになっていきました。正確にはツボではないですが、呼び易く、人にも伝え易い面もあり、愛称として自分でも定着していきました。
混沌としたストリートの中や通りの反対側からでも一目で認識できるように、線は太く、クリーンに、より違和感を強調する為にステッチを入れ、混雑していないブランクのスポットを求めたのです。主張する事が当たり前の世界で、静かに佇み、その場所と共存する様なスタイルは他には見た事がなかったし、それが求めていた未来型のボミングのイメージともフィットしたのです。
今回の展示は私自身を改めて再確認しながら制作したもので、当時を再現したものではありませんが、自身が最も影響を受けた時代の最後の年、未来への希望を最も抱いた、そして自らのスタイルが誕生した年でもある1999年を展示タイトルとしました。
私はスケートボードを通して、グラフィティと出会い、そこからHITOTZUKIとしてSASUとの壁画活動へと繋がり、今回の作品展へと繋がるライン上を今歩んでいます。良い経験も、また反対の思い出も結果的に現在を形成する大事な要素として成り立っていたり、それが先の未来に繋がっていたり、誰もが自らのラインの上を日々進んでいるのだと思います。人は生きている以上必ず死を迎えるし、結局は一つの場所に繋がっていくのかなと、昨年の父の他界後により感じる様にもなりました。
生ある以上やるべき事をやり、天命を全うする。と頭では理解しながらも中々思い通りにならない事も多い現実ですが、
私は私のラインを描き続け精一杯人生を楽しみたいと、くそ真面目に考えています。
今回の展示がまた新たな未来へと繋がるフェーズとなれば良いし、作品を観ていただいた方々が少しでも楽しんでいただけたり、明日への活力に繋がれば幸いです。
全ての道は繋がっている。
I am pleased to announce my solo exhibition “1999,” starting on December 8th.
The lines I create, inspired by graffiti, stem from the quest to find a universally recognizable “form” for self-expression. Hailing from Kyoto, skateboarding ignited my interest in graffiti art rooted in street culture, particularly the captivating beauty of taut “curves” and bold “lines” since 1993.
During a time when information on graffiti was scarce in Kyoto, my fascination with street culture led me to Tokyo in 1996. Despite the influence of skateboarding’s liberating atmosphere, my love for drawing extended to various forms like graphic design, animation, pop art, and abstract painting. Seeking the forefront of hip-hop culture, I moved to NY in 1999.
My stay in NY not only immersed me in the admired world through music and visuals but also made me realize my identity as a Japanese from Asia. This prompted a deeper exploration beyond surface admiration, seeking something rooted in my upbringing. Considering a form beyond language, both in English and Japanese, became a quest for a universally recognizable “form.”
In a time when abstract interpretation of graffiti shapes and flow was common, the significance of being in letters wasn’t crucial for me. Approaching 2000, I envisioned a future where symbols, akin to monoliths recognizable even from outer space, would prevail over text. This vision influenced my decision not to use letters. Drawing shapes on stickers obtained from the post office, arranging them like a puzzle, revealed the prototype of the current line.
While the meaning or name of the line wasn’t initially essential, it eventually gained names like “Dokan” or “Tsubo.” Although not precisely a “tsubo,” the name stuck due to its ease of use and conveyance. Creating art with paint on the streets was uncommon in Japan during that era.
To ensure recognition from chaotic streets or the opposite side of a thoroughfare, the lines are thick, clean, with added stitches to emphasize contrast. Seeking blank spots in the midst of chaos, this style of quietly coexisting with a location stood out, fitting the futuristic image of bombing I envisioned.
This exhibition reflects my self-discovery, not a recreation of the past, and is titled “1999,” the last year of the era that influenced me the most. Through skateboarding, encountering graffiti, and engaging in mural activities as HITOTZUKI with SASU, I continue to walk the line connecting these experiences.
Life’s experiences, both positive and challenging, form crucial elements shaping the present, potentially leading to the future. Understanding the inevitable cycle of life and death, I strive to enjoy life by drawing my own line, despite the unpredictable reality.
I hope this exhibition becomes a phase connecting to a new future. If viewers find enjoyment in the artwork or if it contributes to tomorrow’s vitality, that would be truly gratifying.
All paths are interconnected.
KAMI「1999」
会期:2023年12月08日(金)〜 2024年2月10日(土)13:00 – 19:00
*日・月・火・祝日は休廊
*冬季休廊:2023年12月24日(日)〜 2024年1月9日(火)
会場:SNOW Contemporary / 東京都港区西麻布2-13-12 早野ビル404
session:2023/12/8(Fri) ‒ 2024/2/10(Sat)13:00 -19:00
venue:SNOW Contemporary / 404 Hayano Bldg. 2-13-12 Nishiazabu, Minato-ku, Tokyo